水墨画によくある中国の風景に似た岩山肌の山間道を、曲がりくねった渓流に沿って山中に入ること、山陽道より約八キロ、鬱蒼と樹木の繁る佛通寺の門前に至る。巨大な千年杉の林立、あたり一帯厳しい禅刹の気魄が漂う。御開山大通禅師お手植と伝えられる羅漢槇の大樹の傍の巨蟒橋を渡ると佛通寺山門。巨蟒橋はその名の通り、聖地の結果に巨大なうわばみが横たわり、仏法を守護せんとしているもの。この橋を渡ることで偏に身も心も清浄無垢になり、仏殿に修行を誓う解脱の門に等しい橋となる。山門を入ると、古松が臥龍に枝を張る明道の松、その奥に仏殿が厳然と鎮まる。碧巌古松の参禅道場として六百年の法灯の歴史を刻む臨済宗の大本山である。
千年杉が亭々と林立する石径を上ると多宝塔と石仏の群、開山禅師の塔所・含暉院は開創当時のたたずまいを今に伝える。堂中には佛通禅師と大通禅師、両開山禅師の尊像が尚居ますが如くに端座して佛通寺の今日をじっと見守って居られる。
室町時代に佛通寺が創建されて約六百年になりますが、歴史が六百年続くということは容易なことではありません。その間けっして順風満帆の時ばかりではなかったでありましょう。さまざまな苦難に耐え、逆境をのりこえて、現在に至るまで法灯が脈々と受け継がれていることに思いをいたす時、歴代の祖師方や多くの檀信徒の信仰の力に対して敬虔の情を禁じ得ません。
寺院は本来、住職を中心として檀信徒がともに仏法を学び、先祖供養や日常生活の中で信仰の実践に努める場です。しかしそれだけにとどまらず、寺院は心のよりどころとしての社会的役割があるはずです。仏法を求め、道を求める人が集う「心の道場」として、常に広く開かれていなければなりません。
また、先人たちから受け継いだ歴史的風土や文化遺産を保存し、それをとりまく自然環境を守り、仏教文化に学ぶ社会教育の場として、あるいは自然とのふれあいによる心身の癒しの空間として、佛通寺を訪れる多くの人々にその機会を提供してゆかんことを念願しています。
しかし、佛通寺はあくまでも信仰の場ですから、単なる観光やカメラマンといえども、どうかマナーを守り、慎みをもって来山していただき、ともに「心の道場」を支えていただきますよう御願いいたします。