山口は十四世紀中頃から約二百年間、戦国大名の雄として中国地方に割拠した大内氏の本拠地で、西の京と謳われるほど栄え今尚大内文化の面影を色濃く残す街である。その中でも特に多くの文化遺産が見事に集積されたゾーンの中心をなす臨済宗の巨刹が洞春寺である。洞春寺は大内氏滅亡後、それに代わって君臨した毛利氏の初代藩公・三矢の訓で有名な毛利元就の菩提寺として、元亀三年(1572)元就の孫・輝元が、安芸の国吉田の城内に開基したのが始まりで、開山は傑僧として知られる嘯岳鼎虎禅師。
関ヶ原の役後、慶長十一年萩城内に移り、維新に際し明治二年再び山口に移って現在に及んでいます。
常に藩政と共に転生し、毛利家代々の栄枯盛衰を偲んできたのが当時の特徴といえましょう。
晩年の元就は、戦乱に果てた敵味方の兵士の英霊を供養するために法華経千部を読誦しました。以来、この法要は欠かさず続けられています。読誦の方法は独特のもので、俗に長州法華と呼ばれています。
洞春寺は、元亀(1572年)、毛利輝元が、祖父・元就の菩提寺として安芸吉田の城内に開基し、開山として嘯岳鼎虎禅師を迎えたことに始まる。足利義昭が扶桑十刹に列したともいい、寺領二千三百石を有した名刹であった。
関ヶ原の没後、慶長八年に毛利公家に従って山口に、次いで慶長十一年に萩城内に移った。幕末に毛利敬親が再び藩政を山口に移したので、当寺も寺構を山口に移した。
この地は応永十一(1404年)、大内氏二十六代当主大内盛見が天下泰平、家内繁栄の祈願場として建立した国清寺の旧跡である。のち毛利隆元の菩提寺となり、常栄寺と称していたのを譲り受けた。
開山の嘯岳鼎虎禅師は、往時の学識高揚の大徳で、元亀元(1570年)、正親町天皇から紫衣を賜り、後に建仁寺、南禅寺等の名刹に往持した。生前の元就は禅師の名声を慕い、膝下に招いて参禅の師と仰いだ。
元就は晩年、戦乱に果てた敵味方の兵士の英霊の供養に法華経千部を読誦し、以来この法要は欠かさず続けられている。読誦の方法は独特で、俗に長州法華と呼ばれている。