約1200年の歴史を誇る西大寺は、千手観世音菩薩様を本尊仏として古来より親しまれ信仰され、町衆の暮らし全般に影響を与えてきた。
 岡山県三大河川の一つ吉井川河口は瀬戸内海に注ぐ水運の要衝にあって、また深い観音信仰と相まって発展してきたことは現在の古い町並みをもって、十二分にうかがい知る事ができる。広い境内には本堂をはじめ仁王門・三重ノ塔・大師堂・経蔵・客殿・鎮守堂などが配せられ歴史の深さ、たいへんな繁栄ぶりが偲ばれる。
 鎮守堂には一山の守護神である牛玉所大権現と金毘羅大権現が合祀され、会陽(裸祭り)は牛玉信仰が特異な行事に発展したもので、その起こりは開山住職安隆上人が修正会を催したことによる。
 ともあれ町中にあって吉井川河畔に映る情景は現代人の心を揺さぶるに足りる憧憬とも言えよう。
金陵山古本縁起によると天平勝宝三(七五一)年周防国(山口県)玖珂の郷に藤原皆足姫という観音信仰に篤い女性がいた。日頃から千手観音を崇高していた姫のもとに、あるひ、童顔の仏師が一夜の宿を求めてきた。これが縁で姫は端麗な尊像を護持することになったが、後に仏師が奈良の長谷観音の化身であると知り、お礼参りに海路を長谷寺に向かっていたところ、備前のこの地に至って船が動かなくなった。不思議を感じながらも供に命じて櫨を急がすも微動だにせず、仏性を悟った姫が河畔に堂を興して尊像を安置したのが創まりという。その後、宝亀年中(七七七)長谷寺に参籠していた安隆上人に『汝備前国は金岡荘の観音堂を修築せよ』と夢のお告げがあり、上人は直ちに西国に向かい、皆足姫の奉加を受け自ら旅の勧進を進めていた。やがて船が児島の槌戸ノ浦にさしかかった時、龍神が現れ『金岡は観音大士の霊地なり犀角を埋めて御堂を移し給え』と告げた。こうした多々の奇縁に感涙した上人は、遂に堂舎を建立した。この大御堂は当時の人々を驚愕しめたと言う。