古代における神門寺は、出雲大社との係わりに於ても、又、中世時代、山陰地方随一の寺院であったことなど未知のロマンを今も秘めたままになっている。名残りらしきものは欅の巨木の森に囲まれた広大な寺域に垣間見ることができる。
開山が宋肇菩薩、二世は伝教大師、三世が弘法大師である。いかに当時隆盛していたことを物語るもので、弘法大師がこの神門寺から「いろは四十八文字」を四方に弘めたれたということから神門寺ではこの仮名文字の御真筆を現在も収蔵している。
御本尊は行基菩薩のご自作と伝えられる阿弥陀如来で、法嗣は永く密教を厳修していたが、三十八世良空上人が法然上人の専修念仏に帰依して上洛し、七条の袈裟と六字名号を授かって帰り、山陰地方の念仏弘通の霊場となった。観音堂には慈覚大師作と思われる平安初期の秘仏十一面観世音菩薩像が祀られている。
お寺にお詣りになって、仏様に手を合わせている後ろ姿は美しいものです。その中の一人に、八十八歳になるおばあさんがいる。いつもにこにこして乳母車を押し、往復二キロの道をやって来られ、会う人ごとに「お早うございます」とやさしく挨拶しておられる。そのおばあさんは、まだ目もよく見え、一昨年までは、和服の賃仕事をしていましたが、年をとって万が一、裁ち方を間違えるとご迷惑をかけるといって、今は雑巾をぬって人にあげたりしておられる。「交通事故にあわないように気をつけなさいよ」というと、「前途ある若者が私のような年寄りを轢いたりなどすると本当に気の毒なので、交通事故には気をつけています」という返事であった。バスに乗っても、自分より体の不自由な人を見ると席を譲ってあげるのである。そのおばあさんも初めは観音さまに自分のことのみお願いしていたそうですが、毎日手を合わせているうちに、皆のことを考えるようになったとのことである。