厄除け大師と呼ばれた元三大師を御本尊と祀る御堂で、樗谿に在ったのを明治三年に此の地に移転した、東照宮別当寺名残の唯一の建物。
堂内には、東照宮御神体、藩主祈願仏、文殊菩薩、不動明王、毘沙門天、弁財天等二十数体安置されている。現在は藩主祈願に代わって、御参拝の方々の祈願をしている。
江戸時代、鳥取は池田三十二万石の城下町。初代藩主は徳川家康の外孫である池田光仲公。公は祖父家康・東照大権現を祀るため東照宮を勧請、慶安三年(1650)に鳥取城の鬼門にあたる樗谿に東照宮を建立し、その祭礼を司る別当寺として本院を建立。当所は乾向山東隆寺淳光院と称し、東照宮の祭礼をすることと同時に、徳川将軍家位牌安置所として、上野寛永寺に埋葬された将軍の位牌を安置して年回法要を、更に、藩主の祈願所として定例・臨時の祈祷をしていた。
初代住職の公侃は藩主光仲の従兄弟で、歴代住職就任時に個別の寺院号となっていたが、江戸中期(1815年)に大雲院が常院号となった。樗谿には東照宮をはじめ本地堂・元三大師堂・護摩堂等を中心に多くのお堂が建ち、内坊四ヶ寺を持つ大寺院として因幡・伯耆ニ州の頂点に立つ寺として寺運は隆盛を見たが、明治維新の神仏分離令によって東照宮の別当職を免ぜられ現在地に移転したが、寺内の徳川将軍家の位牌堂では現在も法要が続けられており、常夜燈の灯りが消えることは無い。
神仏分離令、あるいは鳥取大震災、農地解放策等の影響によって多くの堂宇、仏像や寺宝が大破焼失し、往時の三分の一程度しか現存しないことは悔んでもあまりある。
だがしかし、本堂中央に鎮座する阿弥陀三尊、それを取り巻く形で外陣ぐるりに、西国三十三番札所の観音像三十三体で、極楽浄土を表現した様はまことに圧巻、全国でも珍しく、さすが中国観音霊場の結願寺としての風格に唸らずにはおられない。
〔将軍家台霊(位牌)安置所〕元三大師堂内左に位置し、法華多宝塔を中心とする左右に、徳川家光、家綱、綱吉、吉宗、家斉、家治、家定公等の将軍の位牌七基及び鳥取歴代藩主の位牌を安置。
※位牌の御開帳は、毎年春・秋の彼岸とお盆の間、それに特別行事の時だけ。
※その他寺宝としては、家康公直筆の和歌、天海大僧正御直筆の書等がある。