当山は標高四三〇メートルの山上にあり、老杉古柏の鬱蒼とした静寂な境内と、そして周辺一帯は郷土自然保護地域に指定され、誠に自然環境の美しい霊峰につつまれている。
 近隣には後醍醐天皇ゆかりの古桜醍醐桜があり、神庭の滝・鍾乳洞・そして国の重要文化財である弘法大師御作の不動明王を祀る勇山寺等々名所の多い地域である。
 当山の御本堂は、医王の霊薬をもって全ゆる衆生の病気や迷いを救われる薬師如来である。鎮守神として木山牛頭天王と善覚稲荷大明神を祀る。このため本堂正面の寺額に牛頭天王と善覚稲荷のニ神が刻まれている。参詣の人々は他の霊場寺院と異なるので不審に感ぜられる。これは往古の神仏習合の伝統が今日もなお継承されているからである。
 牛頭天王は本地の薬師如来が化身したお姿であり、善覚稲荷は本地十一面観音の化身である。この十一面観音を本尊として中国観音霊場になっている。
当山は弘仁六(八一五)年弘法大師空海が仏縁を止めた霊跡である。延喜七(九〇七)年木山牛頭天王を併祀した。
 当時大変な疫病が流行したが、本尊が薬師如来で治病の仏、牛頭天王は吉備真備が入唐の際持ち帰った神、両々相まって時の疫病を退散することが出来、又文徳天皇が仁寿年間(八五二)に勅旨をもって鎮護国家の祈願を行われたこともあって、木山宮の信仰がことのほか深厚になったと伝える。
 善覚稲荷は正徳年間(一七一四)に京都伏見稲荷より勧請された。当時の僧が善覚という名僧で、その徳を称えて善覚稲荷と呼ぶようになった。
 中世は木山宮が美作国南三郷の惣社として尊崇され、応永年間(一四二)には赤松義則の厚い信仰により多くの寺領を寄進し、戦国の動乱期には、尼子晴久・毛利元就・宇喜多秀家といった美作に進出した武将から厚く保護されるなど、当時の美作において木山寺木山宮の地位は重要であったことを伺わせる。
 今も寺の小高い台上に県指定重要文化財の木山宮の本殿天正九(一五八一)年建立が残っている。