まかね吹く吉備の児島、その半島の霊峯 瑜伽山に蓮台寺はある。海抜三百米、参萬坪の境内をもつ別格本山である。
その昔、聖武天皇の勅願により天平五年(733)行基菩薩の開基と伝えられている。御本尊は「十一面観世音菩薩」である。社殿は大権現の本地仏である阿弥陀如来、薬師如来と彦狭知命を合祀する全国でもまれにみる神仏混淆の堂宇で、本殿は延宝二年(1674)の建築で県重要文化財に指定されている。
古くより「権現さま」といわれ、備前藩主池田綱政(二代)以降大権現への信仰ことのほか篤く、寺領を賜り、その上祈願寺として藩主自ら参拝になった。また御室法親王も当山への帰依浅からず菊花拝用永代金剛憧院の院宣を賜り、さらに住職も代々僧正の永宣を拝する光栄に浴したのである。
一方内海随一の信仰の聖地「厄除け総本山」でもあり「有求必応」の霊山として参拝者が後を絶たない現状である。
瑜伽山縁起によると、行基菩薩が夢にご宣託を受け由加の地を探し求めたとある。告げて曰く。
「我は神代の昔よりこの山中の主たる彦狭知命なり。僧正このたび王法守護の霊場を造立せんとの大願を起こし給う志、殊勝なり。我住む山は無双の精界なれば、早く来りて梵界を開き、三密瑜伽の行を修し給え。また、我をば即ち瑜伽大権現と号して祭ならば、長久に三密擁護の善神となりて利益を施さんこと疑い給うことなかれー。」
以上のご神託を得た僧行基は、山深きこの霊山に草庵を結び、阿弥陀如来と薬師如来の二を安置し、三密を擁護する善神の瑜伽大権現を合祀した。ある日のこと山中から稀な香木を発見し、自ら一刀三礼にして十一面観音を刻んで蓮台寺の本尊としたと伝える。
歴代皇室の祈願寺となり応分の寺領を賜り、仏法弘通の霊場に発展した。
その後時代の変遷とともに寺運の興廃はあったが、室町初期、「今弘法」と讃えられた増吽僧正が中興、江戸時代は池田藩の祈願寺となり、寺構も五十二棟数える程となる。