


観音さんは、その昔インド南部のポータラカ(補陀落)山に住んで居られたと伝え、
古来よりここを『観音さんの聖地』とする信仰が生まれた。
観音信仰はインド西北部で始まり、さらに中央アジア、中国、チベットへと広がった。
日本では、奈良・法隆寺夢殿の救世観音や、東大寺法華堂の不空羂索観音など、たくさんの観音様が造られ、大いに信仰されて現在に至っている。
観音さんは、一般には観音菩薩、観世音菩薩、観自在菩薩と呼ばれ、救世菩薩、大悲大慈主、施無畏者、蓮華手菩薩などの別名でも呼ばれる。インドのサンスクリット語「アバローキテーシュバラ」の漢語訳とされ『生きているもの全てを救うため、いろいろの能力を持っている人』の意味だとされている。
観音(自在)菩薩は、唐の玄奘三蔵の解釈によれば『観とは照の義、空有を了する慧である。自在とは縦任の義、所得の勝果である。昔、六度を行じて、今円果を得、慧観を先と為して十自在を成ずる。位は補処に階り、道は等覚を成じ、幽として燭しないことはないので、観自在と名づけた』とある。
簡単にいうならば、広く世音を心で観、心で聞いて、苦しんでいる人、悩んでいる人を救うという誓いを立てた菩薩ということである。
みなさんの親しんでおられる「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」(いわゆる観音経)にも「仏告無尽意菩薩。善男子。若有無量。百千萬億。衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱…」とあるように、つまり、仏、無尽意菩薩(お釈迦さん)に告げていわく、善男子(善、良な男)よ、もし、多くの衆生が諸々の苦悩を受けたとき、一心に観音さんの名を称えるなら、観音さんは直ちにその音を聞いて、その苦しみより救うであろう…」ということである。
また、観音さん(観世音菩薩)は、西方極楽浄土をフランチャイズする菩薩。女人像で、しかも在家の姿(衣服を纏い、イヤリング等装身具をつけている)をしている。
極楽浄土(仏国土)の主は、阿弥陀仏(別名無量寿仏)で、観音さんは阿弥陀仏の次に仏になることが約束されている副住職みたいな存在である。
観世音菩薩は修行のために娑婆世界(現世)に下りてきて、三十三身(無限にの意)に変化して私たち衆生(凡夫)の救いを求める声を観て、瞬間に強力なパワー(念彼観音力)でもって、救いに駆けつけてくれることを誓願(自分に誓った)された菩薩である。音を観るとは「音より光の方が速い」という意味である。
菩薩とは、ブッダ(仏、覚者)となる以前の過程を指すが、大乗仏教では“悟りを求める人”すべてを菩薩と呼び“自らを救うより、他人を救うことに努める者”と解釈されている。

