摩尼寺の創建は承和年間、八三四年頃といわれている。慈覚大師円仁が唐帰朝の際、弘法弘通の霊場を探していた折、八葉の蓮豪を顕わしている摩尼山の山容に感じ入って伽藍を建立し、喜見山摩尼寺と称された。仏伝では、帝釈天は東方を守護し須弥山頂の喜見城に住す、とあり摩尼は如意宝珠と同義で、吹く福徳を自在に授ける意がある。
 当寺には次のような湖山長者の物語が伝わっている。
 その昔、湖山の里に富豪の長者がいたが、子供がなく、神仏に七日間祈願し、女子を授かった。娘が八歳になったとき突如姿を隠し、夫婦は悲嘆にくれた。摩尼寺山頂から四囲を探していると大岩石の上に帝釈天が現れ、「汝等の娘は帝釈天の化身なり、いまよりこの峰に鎮座して衆生を救う。広く国中に仏徳を知らしめよ」と告げた。そこで長者が財をつくして当寺を建立したとも伝えられている。現在喜見山奥ノ院に立岩があり、帝釈天出現の霊地として尊び敬っている。
 一方、長者が金扇を煽って太陽を迎えたという伝説もあり、現世の無常と人間の驕慢心を戒めている。
 摩尼寺は鳥取砂丘から国道9号線を跨ぎ、林道を深く入った山麓にあり、古くから因幡地方の信仰を集めてきました。本尊は千手観音菩薩、帝釈天を祀り、湖山長者の伝説が伝えられている古刹です。
 境内は門前から急な石段を三百余り登ったところにあり、途中の仁王門から更に上段へと通じています。両側の繁みには石仏を安置し、参詣に菩薩の功徳を授けています。山門を入ると正面に千徳殿と呼ばれる本堂が、重鎮し、丈六仏に近い四天王を中尊に聖衆郡像を安置しています。続いて十王堂と三祖堂があり、その前には藤原秀衡の病気平癒を祈願したという杉の切株も残っています。さらに奥まった台地に建てられた善光寺堂には、善光寺分身如来が祀られています。山頂の奥の院には、帝釈天が出現したという霊跡など多くの遺跡も点在しています。
 古くから、摩尼山には亡き人の霊魂が集まると信じられてきました。奥の院法界地の地蔵尊には多くの位牌が並び、霊魂を呼び戻したと伝える摩尼山の信仰が脈々と息づいています。
摩尼寺ホームページ